うみべのはなし 僕の産まれた村は海沿いにある小さな村だった。 父は漁師で昼はずっと沖に出ていた。母は魚を加工する工場で働いていて、毎日夜遅くまで帰ってこなかった。 子供の僕はずっと暇だったので、毎日のように海辺で他の子供たちと遊んだ。 一部のしっかり者の子供たちは、親の仕事を手伝っていたけれど 僕も含めて大半の子供たちは遊び盛りだったし、みんな時間だけはたっぷりあった。 背丈より高い草を編んで、屋根を作って木に結んで、秘密基地を浜辺にこしらえたり 遠くの島まで泳いだり、一日中釣りをしたり、ボートを浮かばせて寝そべったりして遊んだ。 沖の方では船と島と海女さんが遠くで小さく見えた。 仕事を邪魔しない限り、大人たちは僕らに何も言わなかった。 僕たちも、もう少し歳を取れば、仕事を手伝わなければいけないことはわかっていたし 大人たちにも子供の頃はこういう時期があったらしい。 村には小さな学校がひとつだけあって、簡単な読み書きや足し引きを教えてくれる。 村の子供たちは一週間に何日かそこへ通う。 父も母も、村から外に出たことがないと聞いた。 僕が村の外の話を聞こうとするとき 海の向こう側の話をするとき、父と母は少しだけ寂しそうな顔をした。 僕が海辺で遊んでいた友達のグループの中に、一人だけちょっと変わった子がいた。 ツンとした長い耳をしていて、真っ白な肌をした女の子だった。背丈は僕とあまり変わらなかった。 いつの間にか僕たちの遊びの輪の中に混ざっていて、そのうち毎日一緒に遊ぶ仲間になっていた。 みんなちょっと変わった子だと思っていたけど ユニークな子が一人混ざるだけで、いつも同じになりがちな遊びが、少し変化のある刺激的なものになった。 その子のいるときの遊びは楽しかった。 遊び疲れて日が暮れて夜になると、みんな家に帰って行った。 だけど、その子だけは家に帰らずに海辺に残ってみんなを見送った。 他の子の家は、みんな村の中にあって場所を知っていた。でも、その子の家はどこにあるのか知らなかった。 その子のことは、学校でも見かけたことがなかった。 その子はどこに住んでいるんだろう?そんな疑問が沸いた。 ある日、いつものように海辺で日が暮れるまで遊んで、ひとり、またひとりと家に帰っていった。 僕はその子の事が気になっていたので、その子と一緒に海辺に残った。 秘密基地の中に座り込んで、夕日が沈んでいくのを並んで見つめた。 夕日が沈みきって、あたりはすっかり暗くなった。 周りは暗闇に包まれて、隣にいるその子の姿だけが、ぼんやりと影のように浮かび上がって見えるだけだった。 空気は冷え切って、闇の中に、波の満ち引く音と風で枝がごうごう揺れる音、そしてその子の小さな息使いだけが聴こえた。 僕はだんだん恐ろしくなってきた。その子に「まだ帰らないの?」と聞いた。 その子はしばらく間を置いて、「楽しかったね」とだけ言った。その言葉は、僕に向けて言ったのか、それとも一人ごとだったのか、 よくわからなかった。どこか遠い響きがあり、僕をすり抜けて行ってしまうように感じられて、上手く受け取ることが出来なかった。 その子の表情は、闇に呑まれて読みとれなかった。 僕は、その子を残して家に帰った。 次の日も、その次の日も、僕は同じ場所でその子と一緒に遊ぶことが出来た。 その子は自分の事を話したことは一度もなかったから、どうしていつも僕たちと遊んでいるのかはわからなかった。 その子はいつもみんなの中で一番夢中になって遊んでいた。 ときどき、ふっと魂が抜けたようになる瞬間あって、そんなときのその子は、どこか遠いところを見ているような目をしていた。 僕はその子のそんな瞬間に惹きつけられた。その子の事が気になって仕方がなかった。 無意識のうちに視界のどこかでその子を追うようになっていた。 そのうち学校に行っている時でも、その子のことを考えるようになった。 僕はその子の事が好きなんだと気がついた。 どきどきしていた。 ある日の夜、僕は父に、耳の長い例の子のことを打ち明けた。 父は最初きょとんとした顔をしていたが、だんだん昔を懐かしむような顔になり、 「そうかぁ、お父さんがお前ぐらいの時も、そんな子に会ったような気がするよ」と言った。 僕にはその意味がよくわからなかった。 やがて僕も大人になり、父の仕事を手伝うようになるにつれ、だんだん海辺で遊ぶことはなくなっていった。 あの子のことは気になっていたけれど、毎日覚える新しい仕事が、楽しくて、また大変でもあり、 必死で毎日の仕事をこなしているうちに、頭の片隅に残るだけになっていった。 やがて父も歳を取り、漁に出られなくなると、自分一人で漁に出なければならなくなった。 山のように魚が取れる日もあれば、また、何日も一向に魚が取れない日もあった。 毎日毎日死に物狂いで働いて、そのうちに嫁をもらった。 嫁は働き者で、仕事を手伝ってくれるので、生活はずいぶん楽になった。 やがて一人目の子供が産まれた。子供が産まれてからは、 妻が働きに出られないので、今まで以上に働かなければならなかった。夜遅くに帰ってきては、子供の寝顔を眺める生活が続いた。 子供が大きくなってきて、学校に通うようになった。 学校が無い日は海辺で一日中遊んでいるらしい。 少しうらやましくなるけれど、自分も子供の頃はそうだったのだ。昔の親の気持ちがなんとなくわかったような気がした。 ある夜家に帰ると、珍しく息子が起きていて、話しかけてきた。 「ねぇねぇお父さん、海辺で一緒に遊んでる子の中にちょっと変わった子がいるんだよ。すごく耳が長いの」 ああ、と急に霞んでいた思い出が色を帯びて蘇って来た。 自然と笑みが漏れた。「あぁ、お父さんが子供の時も、そんな子がいたよ。」息子は不思議そうな顔をしていた。 それからは、漁に出ない日は、海辺で遊ぶ子供達を眺めることにした。 息子と耳の長い子が一緒に遊んでいる光景が、幼い頃の自分と重なる。 私はいまでもあの子の事がきっと好きなのだろう。あの子の虚空を見つめていたようなあの表情を思い出す。 あの子はいったいいつから・・・いや、いいんだ。 僕がこれからどんどん歳を取って おじいさんになったとしても、僕はきっとあの子のことを好きなままだろう。 そして僕の孫があの子と遊ぶのを、眺めることだろう。 その光景を想像して、僕は思わず笑みがこぼれた。