-暖かい 冷たい 薄暗い やわらかい ざわざわする  安心する どきどきする 満ちては返す波のような。 その世界の感触が、微かに残っている。 僕も大人になる年齢になった。 今日は成人の儀式の日だ。 僕と同じ年に産まれた子どもたちが、村の広場に集められる。 広場の中央には、大きな円形の石台があり、石台の上にお供えものの置かれた祭壇がある。 村で信仰されている獣の神様の祭壇だ。 村の祈祷師が祭壇の前に座り込み、声を張り上げ祈祷をはじめる。 石台の上の祈祷師の周りに、円を描くように太鼓を持った大人達が並び 祈祷師の歌うような祈りの声にあわせて太鼓が大きく打ちならされる。 祈祷は朝早くからはじまり、僕たち子どもは太鼓の音に合わせて石台の周りを踊りながら回る。 どん! どん! どん! どん! どん! 太鼓が打ち鳴らされ、空気の振動となって体の表面をぴりぴりと振るわせる。 心臓の高鳴りと高揚感。 踊りがだんだん熱を帯びはじめる。 僕らはほとんど勝手に体が動くみたいに踊る。 太鼓の音と体が重なり、踊っている僕らとリズムが溶け合っていく。 頭がぼんやりしてふわふわして、それでも体は意識とは無関係に勝手に踊り続ける。 リズムが全身に染み渡る。 とても気持ちいい。 踊りの輪を少し上から見下ろしているような奇妙な感覚。 僕は踊っている中の一人にすぎない筈なのに、ほかの全員と混ざりあっているような錯覚に陥る。 日が沈み、あたりが暗くなっても踊りは続く。 広場を囲む松明に火が灯される。 熱気は更に高まり、恍惚のあまり倒れる子も現れ始める。 太鼓の音が徐々に小さくなっていって、やがて止まる。 祈祷が終わる。 子どもたちはみんな夢を見ているような顔をしている。 長老がぼくらを一列に並べる。 僕ら子どもたちの額には一本の角が生えている。 遠い先祖から受け継がれてきたそれは、ぼくらの額には不釣り合いなほど大きく、尖っている。 長老は並ばせた最初の子どもの角に、聖水を振りかける。 それから、石で出来た、とても切れ味の鋭いナイフを手に取り、子どもの角を根本からごりごりと削りはじめる。 削られている子は目と口をぎゅっと閉じて、心臓を高鳴らせながら、切断が終わるのを待っている。 角の削り粕が、細かい粉になって、火に照らされて夜を舞う。 並んで待っている子どもたちは、どことなくそわそわしている。大きく深呼吸したりして、覚悟を決めようとしている。 逃げ出す子は誰もいない。 ここで逃げ出してしまえば大人になる機会を完全に失ってしまう。 大人になっても角が生えているのは大人になり損なった証で、この村ではずっと笑いものにされる。 それに耐えきれず村を出ていった人達の話を、何度か聞いたことがある。 角を完全に切断してしまうと、角の後だけが残る。 もう二度と生えてくることはなく、一人前の大人として認められる。 切り取られた角が祭壇に祭られる。 家族や親戚や村のみんなから、大人になったことを盛大に祝福される。 大人になるということは、自由と責任を同時に背負うということだ。 角の生えている子どもは、保護の対象であり、大人に守られることで生きている。 狩りにはいかせてもらえず、村で赤ちゃんの世話をしたり、木の実を集めたり、食料を加工するのが主な仕事だ。 大人になることによって、挑戦と危険とが与えられる。 それは保護され続けてきた子どもたちにとって、胸の高鳴るような魅力的なことだ。 村の異性と、子どもを儲けることも認められる。 産み育てる自由と、産み育てる責任が、同時に与えられる。 子どものおでこにある角は、受信、送信装置のような役割を果たすものらしく 抽象的な認識や思念を、同じ角のあるもの同士で共有している。 子ども同士のあいだには、一種のネットワーク世界が成立している。 そこに個人の存在はなく、あらゆる接続者の認識や思念がぼんやりと溶け合っている。 たまに僕たち以外の思念が混ざることもあり、そんなときのネットワーク世界は、いつもと違う色があるように感じられる。 荒れ狂う川のように激しく、そしてひどく懐かしい感じのする色だ。 その世界に言葉はなく、寝ているときに見る夢のような世界が、五感による認識世界と半分重なり合ったような状態で存在する。 儀式が終わり、つるりとしたおでこを撫でる。 昨日まであったそれに手が触れず、強い違和感を感じる。 頭が不自然に軽い。 曖昧に混ざりあった世界が収束し、輪郭のくっきりとした世界だけが残る。 夜風が冷たく、僕の頭をはっきりさせる。 僕は一人になったのだ。 溢れ出しそうになる不安と焦燥感を、唇を噛んでぐっと堪える。